ケアマネをしていると「ケアマネ冥利に尽きるな」という経験が数多くあります。ここでは私がケアマネとして印象に残っているエピソードをご紹介します。
今回は私が新人の時に担当した一人暮らしをしていた男性のAさんについてです。
Aさんには奥さんと2人の娘さんがいましたが、認知症で暴言暴力がひどくなったAさんに愛想を尽かし、3人が出て行ってしまったのです。
また、奥さんも認知症で要介護状態となっており、私は2人を担当することになりました。ご夫婦ともに担当するケースはよくあるのですが、別居しているパターンは初めてでした。
初めて会った時のAさんのとがり具合は凄まじく、深く印象に残っています。Aさん宅を訪問するたびに「俺をどうするつもりだ!」などと、よく怒鳴り散らされ、なかなか心を許してくれませんでした。。
とはいえ、認知症に加えて車イス生活をしているAさん、何のサービスも使わずに生活することはとてもできません。
そこで、訪問ヘルパーを1日2回手配しましたが、Aさんはヘルパーさんにも怒鳴るので「怖いです!」とクレームがはいることも。
私が勤めていた会社からAさん宅が近かったこともあり、ヘルパーさんの時間はできるだけ私も訪問し様子をみていました。
Aさんはタバコを吸う方でしたが、ヘルパーさんは嗜好品を買えないので、私が購入して届けることもありました。
そうこうしているうちに、Aさんは徐々に心を許してくれるようになり、笑顔を見せてくれることも増えました。
どんどん仲良くなったAさんは、孫がいなかったこともあり「あんたは孫みたいだ」と言って下さるようになるまでに。怒鳴られていた時からは想像できないほどの変化です。
その後介護サービスへの抵抗もなくなり、訪問ヘルパーだけではなく、入浴目的にデイサービスへも通われるようになりました。
しかし順調に生活を送られて一年ほどした時に、本人の預貯金が底を付き、生活に困窮するようになりました。自営業だったAさんの年金は、月に数万円程だったのです。
お金が無くなる不安から、また不安定になってしまったAさん。
ただ、この頃は私には心を許してくれていたので、毎日のように電話をかけてきて「会いに来て話を聞いてほしい」と言われ、頻繁に訪問して様子をみる事ができました。
どうしようもなくなった頃、地域包括支援センターに相談し、役所の生活保護課に繋いでもらい、生活保護の申請を行いました。ちなみにこの後すぐ、Aさんのご家族も生活保護を申請しています。
高齢であることからその場で生活保護の受給が決定し、Aさんの生活はまた安定を取り戻すことができました。
私自身は、生活保護を申請するところから支援したのは初めてでしたので、一連の流れを知ることができ、非常に良い経験になりました。
その後もAさんとの関わりで、他では経験したことがないようなことが沢山ありました。
Aさんとご家族が和解し、再び一緒に暮らすべく引越しをしたのに、3日後には娘さんと大喧嘩し警察沙汰になんてことも!ケアマネの仕事をして長いですが、利用者様のことで警察に呼び出されたのは、後にも先にもこの時だけです。
その後Aさんはサービス付き高齢者住宅に移りましたが、ケアマネはご家族の希望で私がそのまま担当しました。
そしてAさんは1年後他界。これもAさんだけの経験ですが、危篤時に病院に駆けつけ、息を引き取るところに立ち会いました。
別居夫婦の担当、生活保護の申請、警察沙汰・・・
当時ケアマネとしての経験が浅い私にとってとてもハードな方でしたが、今思えば、反対に経験を積む前に担当させていただいたからこそ、精一杯関わる事ができたんだろうなと思います。
Aさんとの関わりで、利用者様に頼りにされるということが、ただ負担になるのではなく、ケアマネとしての自信ややりがいにつながるという事を教わりました。深入りしすぎて大変な事もあったけど、「あんたがいてくれて良かった」と言ってもらえた時は本当に嬉しかったです。
Aさんのケアマネをすることができて、本当に良かったと感謝しています。
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