介護職に興味がある方、既に介護職員として働かれている方、様々な視点からこのコラムをご覧頂いていると思います。このページでは、介護バトンが生まれたきっかけ、そして、ちょっとした裏話や創作の想いを紹介します。
なぜ、介護職のポジティブな部分が認識されにくいのだろうと感じるようになりました。そう考えるようになったのは、間違いなく杉本さんをはじめとするお会いした介護職の皆様のおかげです。
~編集者ちーちゃんと介護~
介護の現場で活躍されている皆さんのお時間を頂戴し、取材をさせて頂いております。
以前は、病院や商業施設へ衛生管理の商材を扱う営業として働いていました。3年目を迎えた頃、母が癌を発症し、同時に元々足の悪かった祖母は、介護施設に入ることになりました。その時勤めていた会社は休職させてもらい、母・祖父・祖母の居る病院や介護施設に足を運ぶ期間が、半年ほど続きました。
当時、26歳の私は、自分が想定していたより早く、祖父祖母・そして母が年齢を重ねていくことを強く実感しました。母の病状は次第に回復し、私も仕事復帰しました。仕事復帰して間もない頃、まだまだ完全な状態でなかった母が家で転んでしまい、利き腕を骨折。やはり、仕事を続けることは難しいと判断し退職。
そして、祖父が亡くなり、祖母もあとを追うようにこの世を去りました。おかげさまで母の病状は回復しましたが、ゆくゆくは母、そして私自身もきっと「介護」は人生と切っても切り離せないものになるのだと感じざるを得なかったのです。
正直、介護施設へ見舞いに行くのが少しつらい時期もありました。痴呆が進みながらも、「家に帰りたい。ベッドに移りたい」と言う祖母の小さな願いすら叶えられないもどかしさや、「次に顔を見せた時、私のことを忘れてしまっていたらどうしよう。私以上にショックを受けるのは母だろうな」とどうしても不安や心配の気持ちの方が大きくなってしまいました。
しかし、それでも祖父や祖母の手に触れると力強く握り返してくれたり、笑顔で歌を歌い始めたりする姿に元気を貰ったのです。また、私に出来ないベッドへの移動や、生活の介助などの身の回りのことをして下さる介護職の方へ本当に感謝しました。その頃の私は、こんな風に現役の介護職の方たちのお話をお伺いする仕事ができるとは思ってもいませんでした。
皆さん本当に人としても魅力溢れる方たちばかりです。そして、皆さんの介護への想いを知れば知るほど、私自身も沢山の影響を受けています。そして、もっとこういった考え方を早く知りたかったとも思うのです。なので、介護職の方はもちろん、家族の介護に苦しむ方にも是非知っていただきたいと思っております。
介護は、残念なことでも、悲しいことでもない。その方の長い人生の内の一部であり、ただ終わりに向かうだけの時間ではないのです。全国で活躍する介護士さんの力により、日々新しい発見や喜びが生まれています。
少しずつでも、一人一人の想いや行動が重なって、介護についての正しい認識が広がっていきますように!そして、ここで記事を読んだら、少しでも元気になって頂けるような場所になっていったら嬉しいです!
▼介護バトンの記事はコチラ