【介護バトン】小池昭雅さん介護×起業―介護に“生きる”を教わった―

ついに始動した介護バトン!介護業界で活躍中の杉本浩司さん、中浜崇之さん、上条百里奈さんの想いを乗せて、スタートした介護バトン!
早速バトンを受け取ったのは…?

 

ずっと目指していたサッカー選手への夢を絶たれ、あるきっかけで介護と出会った小池昭雅さん。専門学校を卒業後、老人保健施設での勤務や特別養護老人ホームの立ち上げ、専門学校の講師経験を経た後、33歳でデイサービスを起業した。温かく地域や人を大切に生きる介護福祉士。休日の過ごし方は、家族や大切な人達の過ごすことだという小池さん。起業という大きな決断、成功までの道のり、そしてこれからの夢をお伺いした。

介護職に人生を救われた

― なぜ介護職を選んだのですか?

 

高校までずっとサッカーをしていて、留学し、本気でサッカー選手を目指していました。ですが、怪我によりプレイヤーとしてサッカーができなくなってしまって。夢を失った状態で、とりあえず大学に行ってみたものの夢中になれるものは見つからず、埋まらない喪失感がありました。

 

同じ頃、小さい頃からずっと面倒をみてくれていた祖父が闘病中で入院していました。「大学は楽しいか?」病気と闘いながら自分を気遣う祖父に「つまらない」とはとても言えず、「楽しくやっているよ」と嘘をついていました。胸を張って元気な姿を見せることができないうしろめたさを感じる帰り道は凄く苦しかったです。そして、ある日祖父は亡くなりました。僕は嘘をついたまま見送ってしまったんですよね。

 

振り返って思い出す程、本当に無償の愛を注いでくれたなあと実感しました。それなのに、自分は何もしてあげられなかったという後悔の想いでいっぱいになりました。

小池昭雅さんの写真

 

「サッカー選手への夢」と、「心の支えであった祖父」どちらも失い、本当に人生の暗黒期というか、何もしたくない、誰とも会いたくない、そんな時期が続きました。

 

そんな時、何気なくテレビを観ていたら、介護についての番組をやっていたんですよね。当時の僕は介護のことを何も分かっていなかったのですが、画面に映るおじいちゃん達の姿と、祖父が重なってみえて。「ここに行けば、何か変わるんじゃないか」と感じました。祖父への後悔を少しでも拭えるような気がしたんです。

 

そして、大学を辞めて、介護の専門学校を卒業し、介護福祉士として老人保健施設で勤め始めました。

理想の介護を追及する

― 介護職を始められた頃、難しいと感じたことはありましたか?

 

まず感じたことは「当たり前」の生活を提供することの大変さでした。それでも “どうしたら当たり前にできるだろう”と考え、実践していきました。

 

― 実際にどのような方法を考えられたのですか?

 

「自分でトイレに行きたい。おむつは履きたくない。」とおっしゃる利用者様がいました。部屋に設置できる簡易トイレなら、人手が少ない夜勤でも対応できるのではないか。正直、始めは職場から反対の声も多かったです。ですが、実践を繰り返すうちに、最初は反対していた仲間達も最終的には、「自分達が介護の可能性を諦めていただけだった」と、協力して貰えるようになりました。

 

― 新しい取り組みは、どのように始められたのですか?

 

環境を変えるには、周りの方の協力が必要不可欠です。職場の仲間や、職種の異なる理学療法士の方や、ケアマネジャーの方、時には利用者様のご家族に声をかけ、協力を得ながら、実践していきました。
あとは、”知識と再現性”も大切だと感じます。「環境を変えたい!」と、どんなに強く思っても、まずは変える為の知識がなければベストな手法さえ考えることは難しいですよね。そして、自分たち以外にも後輩や周りにいる人が、実行できるような“再現性”が高い方法であって初めて定着していくんじゃないかなと思います。

小池昭雅さんの写真

起業という選択

― 起業しようと思ったのは何故ですか?

 

正直、まさか自分が起業するなんて思っていなかったんですけど、起業のきっかけとなった理由は3つですね。

1. チャレンジの継続
2. 妻の夢
3. 祖母の人生の選択肢の一つに

 

保育の専門学校で講師をしていた時期があるのですが、生徒達に「取得した資格に捉われず、自分のやりたいことには何でもチャレンジしてください」と伝えながら、「自分はチャレンジしているだろうか。もっと、現場での経験を増やし続けた上で、人に伝えられる人でありたい」と気付きました。

 

デイサービスを始めることは、妻の夢でもありました。「いつかデイサービスを始めたいね」とずっと言ってたんです。また、祖父が残してくれた、地元での人との繋がりを大事にしながら、理想の施設を創り上げることができるんじゃないかと思ったんです。そして、祖母も介護が必要になった時、自分の施設が祖母の人生の選択肢の一つになったらいいなと思って。3つの想いに気付き、起業という選択に迷いませんでした。

起業して実現させた「本当に働きやすい環境」

― 起業する際にまず何から始めましたか?

 

正直、始めは経理のことや、実務面について何も分からなかったです。そこで、まずは「どんな会社にしたいのか」という軸や目標を、紙に書き出すなどして、明確にしましたね。

 

― 小池さんはどんな会社の実現を目指したのですか?

 

一言で言うなら「子育てをしながら働きやすい会社」の実現です。当時、2人目の子供が生まれて、妻は仕事を離れ、育児に専念していたのですが、「子供と向き合う時間は確保できているけれど、なんだか自分が社会との関わりがないような不安な気持ちになってしまう時がある。」と言ったことがあったんです。「どうしてそんなこと思うんだろう」とその時は不思議だったのですが、同じように育児とキャリアのバランスの取りづらさに悩む女性が、実は多くいることを知りました。

 

それなら、「育児も仕事も、したいことをどちらもできれば良い。シンプルに考えてみよう」と思いました。
子連れ出勤も、当社の職員は当たり前にしています。仲間の働きやすい環境を追及した結果、子供たちが来ることで、ご利用者の方も喜んでくれました。そして、子供たちも自然とおじいちゃん、おばあちゃんを大切に想ったり、尊敬しているようで、送迎の際、ご利用者の方が到着すると靴を持ってきてくれたり、自発的に動いてくれるんですよね。

 

― ご利用者の方、ママさん介護士、子供たち、皆さんが自然にお互いを必要として、支えあっているんですね。

 

そうですね。誰かを大切にする為には、強制されて動くのではなく、あくまでも自然に互いを想い合う気持ちが生まれると良いのかなと感じています。

小池昭雅さんの写真

夢が溢れる今があるのは、介護と出会えたから

― 介護職についていなかったら何をしていると思いますか?

 

何してるだろう…正直全然想像できないですね。本当に僕は介護に救われたし、人生や生きることを教わったので。介護と出会えていなかったら、どこか行ってフラフラしてるかもしれないなあ。笑

 

― 今の小池さんの夢は何ですか?

 

祖父が僕に残してくれたように、僕も子供たちに繋がりのある地域を残したいです。
群馬を変えよう!日本を変えよう!というような大きな目標ではなく、まずは自分の周りの方たちや、地域の方たちを大切にしたいです。その結果、良い影響や輪が少しずつ広がって、介護業界にもプラスになったら嬉しいですね。

 

編集者が伝えたい小池昭雅さんの魅力

小池さんの魅力は、なんといっても温かなお人柄。短い時間の中でも、人を大切に想う細やかさや、優しさに溢れていた。“人が存在する、人が生きていること”自体を大切に想う。そんな小池さんのお話を伺う中で、日頃忘れかけている大切な人やことを思い出させてくれた。

 

そして、温かさと共に感じたのは、サッカーに打ち込むことで身につけた気持ちの強さだ。“どうすれば勝てるのか・技術を磨く・仲間を大切にし、チームで最高のパフォーマンスをする”そんな熱いスポーツマンシップを、今は介護というサービスに形を変えて実現している。「介護」もスポーツも、大きな違いはないのではないかと感じさせられた。仕事もスポーツも、物事は捉え方次第で、何でも面白く、充実させることができるのだ。小池さんの人生から、“挫折をどう捉え、どう乗り越えるか”がいかに大切なことか感じさせられた。

小池昭雅さんの写真

 

次のバトンは誰の手に渡るでしょうか?

次回もぜひお楽しみに!!

 

小池昭雅さんの写真
<小池昭雅さんのプロフィール>
一般社団法人 群馬県介護福祉士会 会長/アイ・ウィッシュ株式会社 代表取締役/デイサービス・小規模多機能居宅介護・研修事業を運営/介護に関する教育現場や講演の講師を務める

 

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