介護×アートをテーマにした様々な取り組みが注目を集める山崎さん。電子書籍化もされた絵本のキャラクター「しわくちゃん」の生みの親。イラストや動画を駆使してウェブや雑誌の連載など様々な活動を続けている。
2017年3月まで老健を中心に約12年間の施設勤務を経て、現在はシナプソロジーインストラクター、生活支援コーディネーター、そして『シワマニア』としてフリーランスの介護福祉士の活動を行っている。宮城県のケアヒーローにも選出された。また、現在は福祉育成アドバイアーとして、介護士を目指す高校生の学びや、小中学校へ出前授業として介護・福祉の授業のサポート等も行っている。
以前はとても堅実な考え方をする学生だったという山﨑さん。地元の郵便局か銀行に勤務しようかと思っていたという。しかし、中学生の時に祖母を亡くした経験や、自分がどんな仕事がしたいのかしっかり調べていった末、介護職がいかに素敵な仕事か気付き、介護の専門学校で介護福祉士を取得した。
山﨑さんは、少し踏み込んだ質問にも、「答えたい、ちゃんと伝えていきたい」と本音を打ち明けてくれた。きっと多くの介護職の方が共感したり、新たなステップへのヒントを貰ったりするのではないだろうか。
目次
『好きだからこそ、嫌になる ―自分を責める必要はない―』
―12年間の勤務の中で、介護の仕事を辞めたいと思ったことはありますか?
介護の仕事を辞めたいと思ったことは、何度もありますよ。16時間夜勤の時、一人で50人見守りをしていました。別フロアの見守りから戻ると利用者の方が転倒されていて…事故で怪我させてしまったとき心臓が止まるかと思いました。忙しさの中で周りが見えなくなって、「もっと優しい気持ちでいなければいけないのに、申し訳ない気持ちと、自分には介護職は向いていないのではないか」と自己否定を繰り返しました。こんな私なんか、もう辞めた方が良いのではないかと何度も心が折れましたね。
―それでも辞めずに続けたのは、なぜですか?
「絶対的に介護が好き」という自分の気持ちに気付いたからです。
もう逃げてしまいたい!と思ったとき、なぜそのように感じてしまうのか、ノートに書き出して、冷静に分析しながら、何度も考えました。そうしたら、「好きだから嫌になるときもある」と気付いたんですよね。
その気持ちは、恥ずべきことでも悪いことでもないと思うんです。もし今、介護が嫌いになりそう!と思っている方がいるならば、嫌という気持ちをしっかり受け入れた上で、進む勇気を持ってほしい。自分を責める必要はないし、自分を大切にできない人に誰かのケアはできないと思います。自分自身の心や身体のケアプランもしっかり考えながら、相手のこともしっかり考えることができたら、きっと心から楽しいと感じる介護ができると思います。
「好きだから嫌いになるときもある」こうした気持ちを持つことに対して、恥ずかしさや罪悪感を覚えてしまう介護職員が多いことを、山﨑さんは心配している。
綺麗な言葉だけで、自分を納得させるには、辛いときもある。きっとそれは介護の仕事に関わらず、「働く」上で多くの人が通る道。それでも、まだこういった言葉を介護業界で発信することは、タブーとされる風潮がある。夢を持って介護職員を目指す学生を近くでみているからこそ、辛いとき・心が折れてしまいそうなときもあるという事実を隠したくないのだと話してくれた。
また、山﨑さんは介護職員として3.11東日本大震災も経験されている。あまりニュースでは報じられない現場での体験を話してくれた。
『地域に寄り添う人でありたい』
震災から助け出しても助けられない命も沢山ありました。仮設住宅での自殺や虐待も多かったんです。そして、震災のショックで認知症を発祥した方も多かったです。突然の家族の認知症に、理解が追いつかない家族も多くいらっしゃいました。ご本人も、ご家族もきっと皆必死だったんですよね。避難所というプライバシーのない狭い環境、ただでさえ皆が辛い状況の中で、周りに迷惑をかけてはいけないと。認知症の進んだ家族を隠すように、寒い冬の中、車で生活をして凍死してしまうケースもありました。
突然すべてが日常ではない環境になったとき、たくさんの現実をみました。当時私が勤務していたのは、福祉避難所になるべき施設だったのですが、震災の影響で、ベッドは壁に突き刺さり、窓ガラスは割れて、階段も崩壊。施設はとてもケアをできる環境ではなくなっていました。限られた設備の中で、自分に何ができるのか、もどかしさや悔しさという言葉には表しきれない感情を抱きました。
今回お伺いしたお話は、震災の出来事の中のほんの一部に過ぎない。
「多くの悲しみや、苦しみを経験した宮城で、相手の気持ちを100%理解することは難しいけれど、寄り添うことはできるはずだから、地域や、人の心に寄り添うことを大切にしていきたい。だから私は≪現場は地域≫を掲げて介護福祉士をしています。」
そう山崎さんはおっしゃった。
しわくちゃんの誕生の秘密
この愛らしいキャラクターご存知だろうか。名前は「しわくちゃん」しわに住んでいる妖精。おじいちゃん、おばあちゃんのしわができた理由や、歴史を教えてくれる。
しわくちゃんは、山﨑さんの手により生み出され、絵本として電子書籍化もされた。2013年Amazonランキング絵本部門3位。多くのレビューも付き、様々な人から感動の声や共感を集めた。現在も、新たに絵本を作成中だという。そんなしわくちゃんの誕生の秘密をお伺いした。
―しわくちゃん誕生までの2つのお話―
(1)祖母へ伝えきれなかった感謝
小さな頃から、味噌汁の作り方や、礼儀作法等、厳しく優しく育ててくれたおばあちゃんは、山﨑さんが中学生の頃に末期の乳がんと診断された。当時、末期と知らずに反発してしまったことをずっと後悔していた。介護について学び、様々な経験をした今なら、おばあちゃんに伝えられること、恩返しできることがもっとたくさんあるのに…そんな気持ちを形にして、おばあちゃんに伝えたかった。
(2)たくさんの思い出と共に刻まれた、「シワ」の美しさを教わった
介護職員として働き始めて2年目を迎える頃、重度の認知症の女性Aさんの担当になった。
Aさんは、毎日自傷行為を続け、殺して欲しいと叫び続けた。施設という慣れない環境で、きっとAさんは不安でいっぱいだったのだ。
自傷行為はエスカレートし、入浴、トイレ、食事すら拒絶をするようになった。どうすれば良いのか困った山﨑さんだったが、ある日、あんた誰だ!との問いに「史香だよ」と改めて自己紹介をしたところ、Aさんの様子が変わった。
偶然にも、Aさんの曾孫さんは、同じ「ふみか」という名前だったのだ。そして、次第にAさんは落ち着きを取り戻し、学生の寮母さんをしていたこと、料理をつくるのが好きだったこと、今までの人生での出来事を教えてくれるようになった。笑顔で話すAさんのシワの向こうに見える、その方の歴史。そこには、たくさんの思い出があって、恋をしたり、家族や誰かを想って怒ったり、笑ったり、泣いたり、瞬間の積み重ねでできたシワなのだ。シワは大切な誰かと刻んできた人生の歴史が顔に刻まれてできる。そう気が付き、シワの美しさ伝えたいと感じるようになったのだ。
こうして誕生した しわくちゃん
「しわくちゃんは、形はなくとも今までもずっと存在していたのではないかと思うんです。今は核家族が増えて、お年寄りと生活したり、触れ合ったりする機会が減っていますよね。でも、きっと昔はもっとおじいちゃん・おばあちゃん・子供・孫たちの間で、コミュニケーションが活発になされ、歴史の紐解きも自然に行われていたのではないかと思います。人生の先輩から学ぶことの大切さや、触れ合うことの尊さを、今この時代だから、あえて具現化して伝えているに過ぎないんです」と山﨑さん
やりたいことは、やる!―介護職は、様々な可能性を秘めている―
しわくちゃん以外にも、様々なアートを介護に取り入れている山崎さん。きっかけや、過程はどんなものだったのか。
(1)介護×○○の可能性
アートには学生の頃からずっと興味があり、絵を描くことも好きでした。でも、アートだけを仕事にすることは難しいと思っていました。しかし、少しずつ介護×アートの提案や実践をしていくことで、たくさんの方に共感を頂いて、後押しして頂けるようにもなったんです。全国にはきっとたくさんの可能性を秘めた介護職の方がいると思います。歌でも、ダンスでも、建築でも、何でもやりたいことがある方がいたらどんなものでも、介護×○○の夢を持ってほしい。そして叶うと信じて欲しい。たくさんの介護士のカラーが混ざることで、より鮮やかで楽しい介護の世界が生まれると思います。
(2)夢を実現するための2つのルール
実際に山﨑さんが、やりたいことを介護に取り入れるために大切だと感じていることを2つ教えてくれた。
1.まず言葉にする
2.一人でも、仲間をつくる
山﨑さんも、今の活動に至るまで、約8年間の積み重ねがある。8年前は、漠然とシワをテーマに「絵本を描きたい」という想いを持っていたが、しわくちゃんの誕生はまだしていなかった。それでもこんなことがしたい!やってみたい!その想いを、言葉に変えて発信し続けた。
はじめはもちろん、たくさんの壁があったという。しかし、継続することで、次第に応援してくれる仲間や、楽しみにしてくれる利用者様やご家族の方も増えたという。
「確かに、アートがなくても生きていくことはできますよね。お絵かきは介護ではない、そんな風に言われたこともありました。それでも、その方がより人間らしく生きることができる、より人生を豊かに彩ることができるという信念があったから、続けてくることができました」
実際にどんな活動をされていたのかもお伺いした。
「少しでも私の得意な絵で誰かを笑顔にしたいという想いでした。夜勤明けに施設のガラスに季節の絵を描いたり、献立表は目でも楽しめるようにイラストをいっぱい使ったりしてみました。利用者様やスタッフへ誕生日に似顔絵をプレゼントしてみたり、寝たきりでお話ができない方にもホワイトボードに絵を描くことが、1つのコミュニケーションツールになるんです。塗り絵をするときは、回想法を使って、利用者様に昔の思い出を話してもらいながら目の前で描き上げました。そして、利用者様と一緒にその絵に色を塗りました」
どのアートにも工夫が施されている。その気持ちが伝わってくるアートばかりだ。お花見が大好きだった寝たきりの入居者様のために「 365日みている無機質な白い天井を桜の絵でいっぱいにしたい」と、天井を桜の絵でいっぱいにする様子。
『これからは、もっとずっと介護業界は自由になる』
「介護に正解も不正解もない。その方の気持ちに寄り添うこと自体が、既に介護だとも思います。そして、介護職のキャリアアップとは、資格を取ることだけではないと思います。副業や働き方も自由化が進んでいるこの時代、色んな介護職の方がいて良いと思うんですよね。介護職員自身が、夢を持って働く環境を増やしていきたいです」
そんな山﨑さんは、いつか海外でシワマニアとして、シワの魅力を伝えていくことを目標にしている。現在は、台湾語、英語を勉強中だそうだ。
『クリックジョブ介護を利用している方にメッセージ』
介護の仕事ほど面白い仕事はないと私は思います。私はシワマニアなので、お年寄りのシワに刻まれた人生の物語を紐解いて共有できたとき、愛の溢れる笑顔を引き出せたとき、幸せを感じます。是非、目の前のその方が歩んできたシワの物語の奥深さを色々な角度から捉えてみてください。きっとシワの妖精が住んでいますよ。
『介護バトンコーナー』
松本嗣未さんからの質問
Q.介護の仕事をしていると「もっとこうできるのではないか、できたのではないか」と後悔することがあります。自分の力量や知識不足、今の自分を超えるために、後悔とどう向き合っていますか?
山﨑史香さんのメッセージ
A.悔しいことってたくさんありますよね。過去の後悔を振り返って、私は今という瞬間を大切にするようにしています。過去でも未来でもない今というかけがえのない時間の中で関わることができる命の輝きと、精一杯向き合うようにしています。
「今」の積み重ねは、きっと未来の自信に繋がっていきますね。
これからも介護バトンはたくさんの方の手に渡っていきます!さあ、山﨑さんそして、しわくちゃんから次のバトンを受け取るのは…?!
―編集者が伝えたい山﨑史香さんの魅力―
山﨑さんの魅力。それはきっと「明るい包容力」
周りを明るく照らす力・そして優しく包み込む力を持っている方、そんな印象を強く受けた。
今回お伺いしたお話以外にも、きっとたくさんの悲しみや苦労を経験されているはずだ。「誰かを笑顔にしたい」と想う山﨑さんの温かさは、こちらまで優しい気持ちにしてくれる。
「自分のケアができなければ、誰かのケアもできない」その言葉通り、山﨑さんは多くの悲しみを乗り越えて、仙台のケアヒーローとして活動を続けている。また、山﨑さんの働き方は、まさに介護業界でのイノベーションの1つなのではないか。ご自身の得意なこと・好きなことを介護分野で活かしながら、様々なフィールドで積極的に活動をされている。限られた時間の中で、自分の可能性に夢を抱き、自分を信じる勇気を持って生きることの大切さを教えてくれた。
『シワマニア』としてフリーランスの介護福祉士の活動/福祉育成アドバイアー/シナプソロジーインストラクター/生活支援コーディネーター/好きな言葉はマザーテレサの言葉「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」思考は現実になる!今の自分があるのはこの定義があったから。/休日の過ごし方は、愛猫との時間や、ゆっくりお風呂に入ったり、映画をみたり、素敵なカフェに入ること。自分の小さな幸せを心地よいと思える瞬間を毎日の中にいくつもつくることを大切にしている。