私は介護の仕事を始めて20年近くになります。施設やデイサービス、ヘルパーやケアマネなど、色々な職場でたくさんの職種を経験してきましたので、今まで出会った利用者様の数は何百人になるでしょう。
当たり前の話ですが、一人として同じ人はおらず、皆さんそれぞれの人生を歩んでこられた先輩方です。そんな方々と接する上で学ぶことは沢山ありました。
そんな中でも特に心に強く残る利用者様が何人かいらっしゃいます。
印象に残った理由は、大変だったから、仲良くなったからと様々ですが、その中の一人、「先生」のお話をさせていただきます。
先生とは、一人目の子供を出産した半年後に働き出したデイサービスで出会いました。通常規模で定員30名のそのデイサービスは様々な方が利用されていて、そのなかで認知症の強い方だけのグループを設けていました。そのグループにいた一人が先生です。
小学校の教師を定年まで勤め上げたその方は、とても重度の認知症でした。一緒に暮らしていた娘さんのこともよくわからず、自分のお姉さんであると思い込まれているようでした。また、先生は自身がデイサービスに来ているのを、仕事に来ていると思っているようでした。そのため、回りの利用者様や職員に話しかけるときは「先生」と呼びかけておられ、ご自身も「〇〇先生」と呼ばれるのが一番混乱しないようでした。そこで私たち職員も「〇〇先生」と呼んでいました。
当時私が勤務していたデイサービスでは、認知症の方とそうでない方のグループを分け、テーブルを離していました。私達職員はなんとも思わない認知症の方の言動でも、「訳のわからないことを言っている!」「また同じ話をしている!」と怒る利用者様もいらっしゃるからです。利用者様の中には、認知症への理解が乏しい方も少なくありません。
そのためデイサービスでは、認知症の方とそうでない方の間に一定の距離をとり、双方がストレスにならないように配慮する場合が多いのです。そのデイサービスで私は5年弱働いていましたが、元々認知症の方が好きだったので、ずっと認知症グループを担当していました。その間利用を続けていた先生とは、5年間お付き合いしたことになります。
「子供は宝です」これが先生の口癖でした。
勤務当時、私には子供が一人いました。少し病気のある子でしたし、何より一人目だったので、子育てについて右も左も分からず、何かにつけて心配の種が尽きませんでした。
そんな時、先生もそうでしたが、特に女性の高齢者の方は、認知症の方でも子育ての相談をすると、ものすごく生き生きとアドバイスをくださいます。普段の会話はなかなか成り立たなかったり、話が飛び飛びになる利用者様から、どれほどの名言を頂き、救われたか分かりません。
そんな中でも、先生のアドバイスは秀逸でした。「子育て」というよりも「教育の観点」から話をしてくれるのです。繰り返しますが、先生は普段はわりと会話が一方的で続きにくい認知症の方です。そんな先生でも、子供の話をすると一気に「小学校教師」の顔になるのです。その瞬間が嬉しくて、私はいつも先生に子育ての悩みを相談していました。
「先生、子供が好き嫌いが多くて、野菜を食べないんです」
「それはね先生、子供に給食の時間をとても楽しい時間だと思ってもらわないといけません。そしてね、先生もおいしそうに食べるんです。そうして一口でも食べられたら、ものすごく褒めてあげて下さいね」
先生はおそらく私を後輩教師だと思っていたので、私のことを先生と呼びながらこういったアドバイスをしてくれました。それでも、「ああ、そうか」とストンと納得できる、優しい言葉でした。
「子供がね、じっとできなくて、すぐにどこかに行ってしまうんです」
「元気でいいじゃないですか。時間を決めてね、少し座りましょうって言ってみて下さい。それで少しでもじっとできたら褒めてあげて下さい」
いつ何を相談しても、先生はすぐに答えてくれましたし、必ず子供を褒めるように付け加える先生は、本当に子供が好きだったんだと思います。
そのデイサービスはアットホームな職場だったので、私はたまに休みの日に子供を連れて職場に遊びに行っていました。ほとんどの利用者様は、小さい子供をとても喜んで下さり、とても優しくしてくれます。認知症で全く会話ができない方が、満面の笑みを見せてくれたとき、子供の力はすごいな、と心底感心しました。
先生も例外ではありません。とても喜んで、歌を歌ったり、絵を描いたりしてあやしてくれました。
そして必ず「この子は賢い顔をしていますね」といい、子供にも「たくさんお勉強してね。お勉強はいいですよ。未来を変えます」と繰り返していました。
そんな、とても優しい先生でしたが、一度だけ私は先生に注意されたことがあります。
連れて行った子供が何か良くないことをして、私が怒った時です。
「先生、子供をみんなの前で叱ってはいけません。ほめるときはみんなの前で、叱るときは一人のときにしてください」。
そうして私に注意したあとに、「先生ならできますよ」と私のフォローも忘れませんでした。
先生は「別れは辛い」といつも言っていました。誰かの退職の挨拶ではいつも不穏になっていました。「卒業式はつらくて嬉しくて、でも寂しいです」と言っていたので、子供たちを送り出した日々を思い出してしまうのかもしれません。
そのため、私はその職場を去る最後の日、ほとんどの利用者様には挨拶をしましたが、先生にはあえて挨拶をしませんでした。
先生がいつも言っていた「子供は宝です」。素晴らしい言葉だと思います。
高齢になり、認知症になっても、教わるべきことはたくさんあります。
だから私は介護の仕事が辞められないのでしょう。
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