上条百里奈さん。中学2年生から始めた介護ボランティアをきっかけに、14年以上介護に携わっている。モデルであり介護福祉士としても活躍し、テレビやラジオ、講演会でも介護の魅力や問題を発信している。介護への想い、そしてプライベートについても教えてくれた。「本当に介護福祉士??」そう思った方にこそ読んで欲しい。
目次
介護×モデル=??
介護職についたきっかけ
本当に介護福祉士?そう思って読み始めた方も多いかもしれません。筆者も思わず聞いてしまいました。
― 上条さん、正直介護施設で働かれているイメージが出来ないです。
よく言われます(笑)でももう14年くらい介護の現場にいます。
― その若さで14年ですか!介護職との出会いは10代ということですよね?
そうですね。中学校2年生での職業体験の時に、食事介助でご飯を半分くらい落としてしまっても、施設のおばあちゃんが笑顔で「美味しかったよ、ありがとう」って言ってくれたのがとても印象的で、ボランティアさせてくださいとお願いしました。田舎はとても狭い社会なので、同級生にボランティア活動が変に真面目ぶっていると思われるのも怖くて、ボランティアをしていることは秘密にしていたのですが、施設で過ごす時間は私にとってとても新鮮で居心地が良い時間でした。学校では言えないような熱い想いや夢も、おばあちゃんはすべて受け入れてくれるので、ありのままの自分をはじめて受け入れられたような気がしました。
高校は総合学科に入学し、ホームヘルパー2級の資格を取得しました。その後、介護福祉士の短期大学に通って、国家資格を取得し、地元の長野県の老人保健施設に就職しました。1年程務めた頃、あるスカウトをきっかけに東京でモデルという職業にも関わるようになりました。
― 東京に出てモデルになろうと思ったのはなぜですか?
20歳の時に参加した学会がきっかけでした。素晴らしい先生達が、介護業界にいることを知り、介護の未来は明るいなあと感じたんです。一方、現場で日々感じる感覚のズレがどこから来るのか疑問に感じていました。
もっと学会の先生が話していたような「みんなが希望を持つことの出来る業界」にするには、介護業界に興味がない人にも、業界に関心を持ってもらうことが重要だと考えました。自分がモデルとして介護福祉士の仕事について話すことで、少しでも多くの人にまずは介護職に関心を持ってもらおうと思いました。
モデルとして、介護職員として―挫折、そして挑戦―
その後、上条さんはモデルとしてもチャンスをつかみ、お客さん3万人の前でのファッションショーに出演する機会があった。しかし、モデル業界に馴染めなかったことやモデル業が増える中で一番大切にしていた介護に関われる時間を奪われることが苦しくなり、やはり自分らしく働くことが出来るのは、介護の仕事なのだと上条さんは再度実感し、介護職をメインとして24歳の時、東京の特養に勤め始めた。
モデルとして介護職を離れていた期間の遅れを取り戻そうと、特養と訪問介護の仕事を掛け持ちして休日も現場に出ることで経験を積む日々だった。介護職に戻ることで、「勉強になることも多く、何より自分らしく働くことが出来ていることが嬉しかった」と笑顔で語った。
そして25歳になる頃には、トークショーの講演依頼をきっかけに講演依頼も増え、前より少しだけ介護について正しく広められる人になれてきたのかなと自信もついて、介護ドラマの監修や、介護以外の分野から講演依頼も増えて発信できる業界の範囲が広がりつつある。
上条百里奈さんが感じる介護業界の問題―幸せの形はない―
長生きすることは幸せ?不幸せ?
「100歳になったら、今までの辛かった思い出は良い思い出になるんだよ。そして良い思い出は、もっともっと良い思い出になるんだよ。だからあなたも100歳まで生きなさい。」人は歳を重ねるたびに幸せになることを上条さんに伝えた女性がいる。一方、超高齢化社会についての特番で"子供が少ない、高齢者が多いことが問題だ"と放送された夜に、「長生きしてごめんなさい」と涙を流す方もいたという。上条さんは自身の経験から、高齢化社会について感じていることを話してくれた。
問題は、高齢者が多いことではないです。本当の問題は、"人が当たり前に生きぬいた結果、幸せに生ききれないことが社会現象になっていること”ですよね。社会が、勝手に高齢者を何も出来ない厄介な人たちというレッテルを貼ってしまっているのではないかと感じています。そんな風潮の中で、可哀想な高齢者を助けてあげようというような、“してあげている”という意識で介護に関わる人も増えてきているように感じます。
高齢者の方の中には、長生きしていることを悲しんでいる人もいます。そして、その家族も“こんな母を長生きさせてしまってごめんなさい”と謝りに来る方もいて、いまや介護殺人や介護虐待、孤独死等は高齢社会全体の課題のように扱われるようになっています。私は、今まで「人生の最期をどう過ごすかは、裕福度や、学歴、職業など何も関係ない」ということを、関わってきた高齢者の方たちから学んできました。
どうしたらより幸せに最期を過ごすことか出来るかを考えたときに、自分や家族は”健常者である”という意識が強い人ほど苦しい想いをしてしまっているように感じます。実は車椅子生活になっただけ、ご飯を自分で食べられなくなっただけであり、障害は自分という存在の一部であると考えられないからかもしれません。
でも、凄く勿体ないことなんじゃないかなって。だって、健常者でなくても、生活や恋愛を楽しんでいる人も沢山いるんですよ。私の友人は体を動かすことは出来なくても、毎日とっても幸せそうに過ごしています。幸せは幸せの形を目指したり、探したりするものではなく、自分の生活の中にあり、自然と気づくものです。介護を受けて生きるのも一つの生き方のスタイルに過ぎません。多様な人々の生き方に触れることで、人は“多くの思い込みや知識がないことで感じてしまう不幸”を避けられると思います。
SOSを出せない環境―もっと認知度をあげたい―
20歳の頃のこと。上条さんは衝撃的な経験をした。
いわゆる老々介護状態になっていたご夫婦の旦那さんが入院することになり、その妻の方が緊急介護として施設に来た。上条さんが抱きかかえてベッドに移動させようとした際に、おしりの辺りが濡れていたそうだ。おむつを替えようとした際に、上条さんはハッとした。おしりや身体の1/3くらいの皮膚が腐ってしまっていたのだ。おしりが濡れてしまっていたのは、その浸出液だったのだ。 「この状態で、今からようやく介護の手が入ることになる。どうしてここまでSOSを出せなかったのだろう。もっと早い段階で彼らに触れ合えたら、こんなに辛い想いをさせずに済んだはず。SOSを出せないこの環境こそが問題だ」上条さんはそう感じずにはいられなかった。
「もっと近所や地域が介護や認知症について、オープンに受け入れあえる環境を作っていきたい。そのための、社会認知度をあげたいと感じています。介護の魅力を発信することも大事だけれど、それよりも、介護の助けが必要だというSOSを気軽に発信出来る環境を作ることが重要であり、それが必要な介護サービスを提供する上でも重要な課題であると考えます。」
このような介護業界や高齢化社会の問題を目の当たりにし、本気で解決したいと考えている上条さん。そのためにもモデルとして活動を続け、より多くの人に介護業界の現状を知ってもらい、介護を取り巻く環境を根本から変えていこうと活動をしている。
次回の後編では、上条さんの仕事に対する思いや恋愛にまつわるプライベートなことまで教えて頂いた。次回もお楽しみに!
長野県出身/介護福祉士/モデルとしても活躍/様々なイベントやメディアに出演し、情報を発信している
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